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日语2000字文章

来源:免费论文网 | 时间:2016-11-23 14:18:14 | 移动端:日语2000字文章

篇一:日语论文

和泉式部と橘道貞の婚姻の破綻

要 旨

キーワード:和泉式部、橘道貞、為尊親王、恋

平安時代の有名な歌人として和泉式部は夫橘道貞と離婚して、当時の第三皇子為尊親王を熱愛した。世の中に和泉式部は遊女として喧伝されていた。しかし、和泉式部と橘道貞の離婚は和泉式部一人だけの原因ではなく、二人が責任がある。

代々儒家として世に知られてきた家柄に生をうけた和泉式部が、のちに長じて王朝の三人の才女の一人として、ゆるぎない位置を占めたということは、決して意外なことではなかった。父は大江雅致である。

和泉式部は儒家の娘として、父雅致から和歌を学び、習字の手ほどきをうけ、教養深い子女として成長した。他の女流歌人とは比べようもない、よい環境の中に育っていったと言えよう。

和泉式部の結婚は二十六歳とも言われる。父の大江雅致の友人であった橘道貞と結ばれた和泉式部は、生涯歌人として名を記す“和泉”を夫からもらう。 和泉式部と為尊親王の恋のために、橘道貞との婚姻は破綻しまったといわれる。しかし、私は離婚の原因がそういう簡単な条件だと思ってはいない。人々の認識に反して、恋に自由だと見られた平安期では、本来の多情な和泉式部には愛情と詩歌が彼女の生活の全部である。

橘道貞との婚姻の中には、身分と位置だけではないと思っている。橘道貞との結婚当時はいたく平和であり、小式部ないしを生んだ。あるときは夫道貞に従って任地に着き、「黒髪の乱れも知らずうち伏せばまづ掻き遣りし人ぞ恋しき」のような、道貞への思慕のみずみずしい作品をも残している。お互いに任地を往復しあったときのものであろう。「あらざらむこの世のほかの思ひ出に今ひとたびの あふこともがな」のような詩句によって、和泉は死んでところにもう一度道貞におあいしたがることを表現している。

しかし、橘道貞はしげしげ往復してあれ、別居の夫婦の感情を支えにくいことだろう。和泉式部の心の隙にはまりこむべき空白地があったのではなかったか。実は、太皇太后宮が病弱であったとき、橘道貞は、自分の邸を提供して、療養の機会を与えたりした。だが、和泉人生はというより、和泉の恋は、太皇太后宮を導火線として展開する、小説的な女の一面をつづりあわせるのである。 そして、療養中であられた太皇太后宮がこうぜられると、邸内の始末がはじまって都へかえらねばならなくなった。心頼りの存在であった太皇太后宮を失った和泉式部の悲しみが、おりおり見舞いわれた皇子の為尊親王の悲しみと重なり合う奇縁が生じていた。逢う機会が度重なるにしたがって、為尊親王の火は和泉式部の炎ととけあっていき、和泉が橘の妻であるということも制約の中へは数えらぬ恋に変化していった。激しい恋であった。

橘道貞は潔く離婚を決意した。和泉式部二十七歳、弾正宮二十四歳であった。

美貌であり、かさいがあり、火のようにやけやすい才女和泉式部と、弾正宮との愛の交換は常識以上のものであったともいわれているけれど、なぜ和泉式部が誠実な橘道貞という夫を裏切って、年若い為尊親王にかたむいたのであろう。かつて橘道貞が任地におもむき、その間、都と任地とを往復するころ、和泉守という地位と財力にへつらい寄る女たちがなかったとは誰も保証することは出来ね。

一説によれば道貞には左京命婦という女が寄り添っていたともいう。賢明な和泉式部は、旅の上で知り合って左京命婦との縁を断念させようととりもったが、橘道貞は却って命婦に傾斜していった。ある意味では、和泉式部は捨てられた形になった。むなしい心の隙間を埋めるように、為尊親王の若い放縦な愛が流れ込んだのは、あるいは和泉式部にとっては、当然であったとも言える。 しかし、道貞との離別後の和泉式部の生き方から見て、道貞との生活がいかがであったか推測もいろいろ可能であろう。それにしても現在残されている道貞関係の資料は乏しい。つまり、和泉式部と橘道貞の婚姻の破綻は和泉一人だけの責任ではなく、婚姻の中で夫婦二人の責任であろう。

参考文献

[1]生方たつる、和泉式部、読売新聞社、昭和五十年二月十日

[2]山本健吉、日本の恋の歌、株式会社講談社、昭和五三年九月二十日

[3]刘德润、小仓百人一首——日本古典和歌赏析、外语教学与研究出版社、2007年6月

[4]URL:http://ci.nii.ac.jp/els/110000128343.pdf?id=ART0000472256&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1292244641&cp=

篇二:日语美文欣赏[1]

1忍冬?冬に耐えて咲かせた花

ニンドウともいいます

忍ぶ冬…冬でも、寒さに耐えて、葉を落とさないから、こう書くのだそうです。 すいかずらと呼ぶのは、水をよく吸う蔓だからという説、花の根本にある蜜を子供たちが吸ったからという説などがあります。

またの名を金銀花。

雪のように真っ白な花が、だんだん黄色味をおびてくるので、金と銀の花が一緒に咲いているように見えるからです。

寒い冬を耐え忍んで、ついには金と銀の花を咲かせるなんて、素晴らしいですね。

この花を思えば、つらいことも乗り越える勇気が湧いてくるようです。

忍冬·迎寒怒放的花

忍冬,忍耐寒冬……即便是在严冬,仍然不凋零,傲寒怒放,忍冬花因此而得名。 忍冬花又名“吸水草”。有人说是因为它的藤蔓有很强的吸水能力,也有传说是花蕊部储藏着花蜜,常被孩子们采来吸食等等。

它又名“金银花”。

据说是因为本来雪白的花瓣,会渐渐变成淡黄色,远远看去,就好似金子和银子做成的花瓣开在一起,因此而得名。

傲雪独立,又开出金银般的花朵,真是让人叫绝,让人惊叹!

想到这花,不禁从心中涌出一种力量,让我们去迎接严寒、迎接挑战。

【词汇空间】

忍ぶ(しのぶ):「他動詞五段」忍耐,忍受

耐える(たえる):「他動詞一段」忍耐,忍受

蔓(かずら):「名詞」藤蔓

帯びる(おびる):「他動詞一段」带有,含有

乗り越える(のりこえる):「自動詞一段」超越,克服

湧く(わく):「自動詞五段」涌出

2刹那·一瞬の宝

梵語のKsanaの音を写したもので、仏教の時間単位です。?

指を一回弾く時間が六十五刹那だとか、七十五分の一秒のことだとか、いろいろ説がありますが、とにかく、本当に短い時間のことです。

でも、この短い時間のつながりが、私たちの一生なのです。

時間は、すべての人に等しく与えられた財産だといわれます。使っても使わなくても、消えていってしまって、決して貯めておけない。

もし、毎日決まって二十四万円もらえば、使っても使わなくても一日で消えていってしまうとしたら...

みんな、必死に使いませんか。

刹那の時間も、大切な財産。?

あなた次第で、それを、きらめく宝石に変えることだって、できるのです。

刹那·一瞬间的财富

刹那,由梵语Ksana谐音而来,是佛教的时间单位。

有的说,弹指间为六十五个刹那,也有说,一个刹那为七十五分之一秒。虽然说法不一,但总之,一刹那真的是极短的一段时间。

刹那虽短,但是我们的一生,就是由这无数个刹那连接而成。

时间,是上帝公平地给予每个人的一笔财富。时间,无论你用还是不用,它都会不断前行,不会为任何人停留,不会为任何人积攒。

试想,如果是每天固定地给我们二十四万元现金,无论你用还是不用,它都会在一天之内消失的话,你会怎么做呢?

是不是拼了命,也要把它用完呢?

其实,刹那,也同样是一笔宝贵的财富。

这无数个刹那给了你,由你支配。是把它变成粪土,还是变成金山,就看你的了。

【词汇空间】

刹那【せつな】: ?名詞? 一刹那

つながり:「名詞」連接

等しい【ひとしい】:「形容詞」イコール、相等、等同于

必死に【ひっし】:「副詞」拼命地

きらめく:「副詞」闪耀

3蓮華?泥より出でて、泥に染まらず

「蓮」の花のことです。

~ひーらいた ひーらいた 何の花がひーらいた れんげの花がひーらいた~

わらべうたで歌われている蓮華は、この蓮のことだそうです。春に咲く蓮華草は、もともとはゲンゲンと呼ばれていました。蓮の花に似ていることから、蓮華草と呼ばれるようになったそうです。鍋物の時などに使う散り蓮華も、形が蓮の花びらに似ているところから、こう呼ばれるようになりました。

「泥より出でて、泥に染まらず」…濁った泥の中で育ったにもかかわらず、信じられないほど清らかで美しい花を咲かせる蓮の花。

自分の不遇を嘆きたくなった時には思い出してみるといいかもしれません。こんな花もあることを…

莲花·出淤泥而不染

莲花,莲之花。

“开啦,开啦,什么花开啦?莲花开啦!”

这首童谣里唱的就是莲花。

据说春天开的“紫云英”,由于花朵似莲花,又得名“莲花草”。

吃火锅时用的汤匙,也是由于形如莲花,因此又得名“莲花匙儿”。

“出淤泥而不染”—— 从淤泥的泥浆中生长出来,却能如此的清丽纯洁,让人难以置信。

当我们面对挫折,为自己的命运而唉声叹气之时,就让我们想想这莲花吧——世间居然也能有如此高洁之花朵。

【词汇空间】

蓮華(れんげ):「名詞」莲花,荷花

童歌(わらべうた):「名詞」童谣

鍋物(なべもの):「名詞」火锅

散り蓮華(ちりれんげ):「名詞」汤匙

花弁(はなびら):「名詞」花瓣

4破晓月

有明の月·振り向けばそこに

有明とは月がまだ残っているのに明けていく空のことです。

そして有明の空に残っている月が有明の月。十六夜以降の月のことをさすそうです。

すっかり影が薄くなって、透けて見えそうなほど儚い有明の月は、切ない恋の思いをいっそうかきたてるものとして、よく和歌に詠まれています。

どうしても明るく染まりゆく空や昇る太陽の方にめがいきますが、そんな中で西の空を振り返り、消えゆく月を見つめる瞳…なんてやさしい瞳でしょうか。 いつも前ばかり見ていないで、たまには後ろを振り返ってあげてください。ずっと、あなたを見守っている眼差しに気づくはずです。

破晓月·就在回首处

月亮还挂在天边,天空却开始破晓。

这时的月,就是破晓月。一般指阴历十六以后的月亮。

月亮几乎淡尽,近似透明的虚无的月,人们在渲染一段苦闷的恋情之时,常将此月写于诗中,反复吟唱。

我们总是喜欢在黎明之时,遥望东方,去赞叹那染红天边的朝霞,去歌颂那徐徐升起的朝阳。然而,那转向西方,凝望渐尽的残月的眼眸,也是多么的沉着与温柔啊。

是啊,不要只顾朝前,匆匆赶路,让我们时不时地回过头,看看那走过的身后。那里,一定有一个眼神,在一直守望着你。

【词汇空间】

有明(ありあけ):「名詞」尚有残月的黎明

以降(いこう):「名詞」之后

儚い(はかない):「形容詞」虚幻的

書き立てる(かきたてる):「他動詞一段」例举 染まり行く(そまりゆく):「自動詞五段」染红

日文晨读短文精选欣赏(1)

「木」に対応する方角は東、いろは青、季節は春。「火」は南、朱(しゅ)、夏。「土」は中央で、色は黄色、季節は土用としました。「金」は西、白、秋。そして「水」は北、黒(玄げん)、冬。

ここから、青春、朱夏、白秋、玄冬という言葉ができ、人生にあてはめられるようになったということです。

いまでは、「一生青春」という人もいるぐらいで、青春以外は、ほとんどつか

われなくなりましたが、青春の次には、朱い(あかい)夏がまっていたのです。 じんせいによって季節の色のイメージが違うように、青い春だけに拘ることはないのかもしれませんね!

あてはまる 自五 适用,套用

土用(どよう)名 指立春,立夏,立秋,立冬前的十八天

玄(げん)名 黑色 深褐色

拘る(こだわる) 自五 拘泥

日文晨读短文精选欣赏(2)

水面に桜の花びらが舞い散って、筏(いかだ)のように流れていく。。。そんな様子を花筏といいます。

美しい春の風景ですね。

咲いている花を愛(め)でることは誰でもしますが、散る花、散った花を愛でる人は少ないかもしれません。

桜吹雪(さくらふぶき)、花の雨、飛花、そして葉桜。。。

その時々の桜を、人々は言葉に写して、愛してきました。

どんな姿になろうと、桜であることに変わりはないのです。

~散る桜 残る桜も 散る桜~

良寛和尚の辞世の句の一つつです。

そう、みんな桜。咲こうとも散ろうとも、愛すべきさくらです

筏(いかだ) 名 木排 木筏

愛でる (めでる) 他一 喜爱

桜吹雪(さくらふぶき) 名 形容樱花纷纷飘落的样子

葉桜(はざくら) 名 樱花落后出新芽的樱枝

辞世の句(じせいのく) 名 临终绝句

卖火柴的小女孩(日文版)

マッチ売りの少女

The Little Match-Seller

ハンス?クリスチャン?アンデルセン Hans Christian Andersen

大久保ゆう訳

それは、ひどく寒いおおみそかの夜のことでした。あたりはもうまっくらで、こんこんと雪が降っていました。寒い夜の中、みすぼらしい一人の少女が歩いていました。ボウシもかぶらず、はだしでしたが、どこへ行くというわけでもありません。行くあてがないのです。ほんとうは家を出るときに一足の木ぐつをはいていました。でも、サイズが大きくぶかぶかで、役に立ちませんでした。実はお母さんのものだったので無理もありません。道路をわたるときに、二台の馬車がとんでもない速さで走ってきたのです。少女は馬車をよけようとして、木ぐつをなくしてしまいました。木ぐつの片方は見つかりませんでした。もう片方は若者がすばやくひろって、「子供ができたときに、ゆりかごの代わりになる。」と言って、持ちさってしまいました。だから少女はその小さなあんよに何もはかないままでした。あんよは寒さのために赤くはれて、青じんでいま

す。少女の古びたエプロンの中にはたくさんのマッチが入っています。手の中にも一箱持っていました。一日中売り歩いても、買ってくれる人も、一枚の銅貨すらくれる人もいませんでした。少女はおなかがへりました。寒さにぶるぶるふるえながらゆっくり歩いていました。それはみすぼらしいと言うよりも、あわれでした。少女の肩でカールしている長い金色のかみの毛に、雪のかけらがぴゅうぴゅうと降りかかっていました。でも、少女はそんなことに気付いていませんでした。

どの家のまども明かりがあかあかとついていて、おなかがグゥとなりそうなガチョウの丸焼きのにおいがします。そっか、今日はおおみそかなんだ、と少女は思いました。一つの家がとなりの家よりも通りに出ていて、影になっている場所がありました。地べたに少女はぐったりと座りこんで、身をちぢめて丸くなりました。小さなあんよをぎゅっと引きよせましたが、寒さをしのぐことはできません。少女には、家に帰る勇気はありませんでした。なぜなら、マッチが一箱も売れていないので、一枚の銅貨さえ家に持ち帰ることができないのですから。するとお父さんはぜったいホッペをぶつにちがいありません。ここも家も寒いのには変わりないのです、あそこは屋根があるだけ。その屋根だって、大きな穴があいていて、すきま風をわらとぼろ布でふさいであるだけ。小さな少女の手は今にもこごえそうでした。そうです! マッチの火が役に立つかもしれません。マッチを箱から取り出して、カベでこすれば手があたたまるかもしれません。少女は一本マッチを取り出して――「シュッ!」と、こすると、マッチがメラメラもえだしました! あたたかくて、明るくて、小さなロウソクみたいに少女の手の中でもえるのです。本当にふしぎな火でした。まるで、大きな鉄のだるまストーブの前にいるみたいでした、いえ、本当にいたのです。目の前にはぴかぴかの金属の足とフタのついた、だるまストーブがあるのです。とてもあたたかい火がすぐ近くにあるのです。少女はもっとあたたまろうと、だるまストーブの方へ足をのばしました。と、そのとき! マッチの火は消えて、だるまストーブもパッとなくなってしまい、手の中に残ったのはマッチのもえかすだけでした。

少女は別のマッチをカベでこすりました。すると、火はいきおいよくもえだしました。光がとてもまぶしくて、カベがヴェールのように透き通ったかと思うと、いつのまにか部屋の中にいました。テーブルには雪のように白いテーブルクロスがかかっていて、上にごうかな銀食器、ガチョウの丸焼きがのっていました。ガチョウの丸焼きにはリンゴとかんそうモモのつめ物がしてあって、湯気が立っていてとてもおいしそうでした。しかし、ふしぎなことにそのガチョウが胸にナイフとフォークがささったまま、お皿から飛びおりて、ゆかをよちよち歩き出し、少女の方へ向かってきました。そのとき、またマッチが消えてしまいました。よく見ると少女の前には、冷たくしめったぶ厚いカベしかありませんでした。

少女はもう一つマッチをすると、今度はあっというまもありませんでした。少女はきれいなクリスマスツリーの下に座っていたのです。ツリーはとても大きく、きれいにかざられていました。それは、少女がガラス戸ごしに見てきた、どんなお金持ちの家のツリーよりもきれいでごうかでした。ショーウィンドウの中にあるあざやかな絵みたいに、ツリーのまわりの何千本もの細長いロウソクが、少女の頭の上できらきらしていました。少女が手をのばそうとすると、

篇三:日语阅读328篇(含文章平假名)(推荐)

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1、ゴールデンウイーク 黄金周

「風薫る1五月」といわれるように、この時期、野山2は新緑3に包まれ、さわやかな五月晴迎える。四月下旬から五月上旬にかけて休日が続いているため、ゴールデンウイーク4と呼ばれている。この休みを利用して、国内旅行や海外旅行をする人もたくさんいる。

「かぜかおるごがつ」といわれるように、このじき、のやまはしんりょくにつつまれ、さわやかなごがつばれむかえる。しがつげじゅんからごがつじょうじゅんにかけてきゅうじつがつづいているため、ゴールデンウイークとよばれている。このやすみをりようして、こくないりょこうやかいがいりょこうをするひともたくさんいる。

译文

正如人们所说的“香飘五月”一样,这个季节野山新绿满目,气候宜人。人们可以从4月下旬休息到5月上旬,所以把这段时间叫做“黄金周”。很多人利用这段时间在国内或去国外旅行。

注释:

1、風薫る:熏风送香

2、野山:田野山川

3、新緑:新绿,嫩绿

4、ゴールデンウイーク:golden week 黄金周

2、たこ 风筝

日本のたこは、八世紀ごろ中国から伝わったといわれている。十七世紀になると、子供の正月遊びとして流行するようになった。

地域に
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